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Happy Unbirthday Songs

hokkaido→tokyo/tsukuba→moscow

ちょっとまとまった文章

しばらくここで文章を書いていなかった。以前から使っていた、日記の方に戻ることにしていた。ごく個人的なことは、やっぱりそこに書いた方が良いと思ったのだった。

 

でも私の日記は、一日に一ページだけ書くつくりになっているので、ちょっとまとまった文章を書くのには向いていない。今日は「ちょっとまとまった文章」を書いてみたい気もちになった。書いて、削って、また自分の気持ちにちゃんと沿うような言葉に練り直す、っていう作業をしたくなったのだった。

 

モスクワに来てもうすぐ3か月になる。興味の赴くまま、いろんな場所にひょこひょこと歩いていった。偶然出会った私に、親切にしてくれた人がたくさんいた。彼らと行動することで、一人だけでは知ることができなかったであろう、モスクワの顔を見せてもらっている気がする。

 

一方で、ロシア語ができない、聞き取れないっていうことが、ちょっと重くのしかかってくる。なるべく笑顔でいるようにしてるけど、相手とコミュニケーションできないっていうのは、自分が透明人間になっているような心細さがある。せっかくの時間をもらって申し訳ないなと思ってしまう。

それでも不思議と、勉強を投げ出したいとか、日本に帰りたいとかはまったく思わない。今はうまくしゃべれないけど、友達、カフェの店員さん、おばちゃん、誰とでもいい、ちゃんと意思疎通をしたいから、彼らが日々どんなことを考えて生きているのか、そのしっぽに少しでも触れたくて、部屋で教科書をぶつぶつ唱えている。

 

 

どうしてロシアに来たのか、今まで何回も聞かれて、いつもうまく答えることができない。欧米に行ってもなあ・・・という自分のあまのじゃく的思考回路に起因するところが大きいけれど、とにかく、今までとはまったく違う価値観に触れたかった、というのはある。こういうと自分探しの旅みたいだし、事実そうなのかもしれないけど、もうロシアに来てしまった今となってはそんなことはどうでもいい。自分探して何が悪いと言いたい。

 

 

留学することを決める直前、今年の1月から2月ごろ、もう私は本気で、人生に嫌気がさしていた。就活の波には乗れず、将来やりたいこともなく、気力も湧かず、不安しかなかった。ご飯もちっともおいしくなかった。夜中に訳もなく涙があふれてきた。周りには大好きな友人たちがいたけれど、言葉を出そうとするとなんか苦しくて、彼らと自分を比較して、ものすごく惨めだった。

 

でも4月から環境が変わった。興味が持てないのに周囲の勧めで選んでしまった専攻を、もともと自分がやりたかったものに変えた。ゼミが変わって、とる授業が変わって、出会う人たちが変わって、その日考えることが変わった。「勉強の時間」と「休みの時間」の境が曖昧になって、それくらい授業で学んだことをいろんな人に聞いてほしくてしょうがなかった。呼吸できるようになった。水を得た気持ちになった。

 

楽しいこと、心が動くものを見つけたら、全力でそっちの方に手を伸ばさなければいけない。伸ばしていいんだということを、私はずっと知らなかった。どんなときだって、いつだって、私は自由だったということを知らなかった。それぐらい、周囲の人の目(それは自分が作り出したものであることが多いけれど)が怖かったし、自信がなかった。

 

 

正直、いま卒論の構想として考えているテーマも、形として結実するのか、今の語学力からしてまったくわからない。でもまずは書き出さなければいけないのだろうし、それを他者に差し出さなければいけない。頭の中だけで一生懸命ひねくり回していても、身体が伴わないのなら、それは考えていることにはならない。

 

自信はないけど、現実がちゃんと鞭打ってくれる。本や文章で触れることができる他者の思考の軌跡の中に、日常で出会う人々の中に、いつだって答えはあるはずだと信じている。小さな根性の私には、彼らと対話することが救いなのだと思う。

 

この一年の間、少しずつ少しずつ、自分にとって必要なパーツを勝ち取ってきた。残りの時間で、拾ってきたものたちを、納得のいく形で結実させたいと思っている。