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Happy Unbirthday Songs

hokkaido→tokyo/tsukuba→moscow

モスクワのアートスペース(VINZABOD, PLAYART)

 

昨日の夜、今日は思い切り、自分を遊ばせるのだと心に決めていた。アート関係の場所で面白そうなところをネットでチェックして、行き方までぜんぶ調べて、白い陶器でできた花のネックレスを耳に付けて、準備万端で私は寮の外へ踏み出した。

 

一人で歩いている。誰かと歩くことは、一人ではできないような経験を共有できることだから、それはそれで楽しい。でも一人のときは、誰にも気をつかわずに、立ち止まってカメラのシャッターを何度でも切ることができるし、あれこれ妄想を膨らませることもできる。すれ違う人々の服装や顔つきを観察しながら、私は彼らの毎日に思いを巡らす。つい数日前に地下鉄に乗っていたときにも、小学生くらいの女の子が携帯電話を耳にあてたまま大粒の涙を流し、人混みの中をかきわけ進んでいた。そんな一瞬の出会いの中に、本当に自分勝手ではあるけれど、時々ハッとさせられるのである。

 

パルク・クリトゥールィ駅で環状線に乗り換え、クールスカヤ駅へ。地上に出ると、がらんとした駐車場、雨風でボロボロになっても壁にへばりついたままの張り紙たち、錆びれた雰囲気の飲食店、公衆トイレとその門番の人、そして灰色の空が広がっていた。

 

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何人かに道をたずね、落書きだらけの小さなトンネルを通過し、窓の割れた集合住宅を横目に見て、角を曲がると、"VINZAVOD"と書かれたゲートを見つけた。かつてこの場所は、その名の通りワイン工場だった。現在はレンガ造りの古い建物や倉庫をリメイクして、コンテンポラリーアートのギャラリーやカフェ、デザイン会社などの集合スペースになっている。

 

ほとんど人通りが無いことに戸惑ったが、とりあえず倉庫の中に入ってみると、天井の高い開放的な空間の中に、4つほどのギャラリーが広がっていた。そのうちの一つで展示されていた、フョードル・サヴィンツェフという人の写真が目に留まる。グルジアの集合住宅の窓、アルプスの家々、北オセチアの山の雪景色。広いスケールで余すところなく対象を捉えているのに、その中の一つ一つの質感、ディテールはとても繊細だ。ともすれば寂しい、静かな、決して華やかではない世界を映しているけれど、ちゃんと息遣いのようなものを感じることができる。

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その隣のギャラリーにも顔を出してみると、こちらはロシアの近現代の画家の作品を展示していた。色使いも自由で、煙草の箱ばかり描いた、ポップな印象の絵もある。観終わってギャラリーを後にしようとすると、椅子に座っていたスタッフの女性に何か呼び止められた。私が聞き取れなかったのでぽかんとしていると、彼女は英語で、「ここに来た記念に持って行って」とギャラリーのカードを渡してくれた。

私は礼を言ったあと、日本から来たのだというと、彼女は「まあ!」と笑顔になった。そしてギャラリー内に展示されていた、パリの街並みを描いた風景画を指し示しながら、「この風景は、日本の宮崎監督の作品にも出てきそうよね」と話した。宮崎監督はロシアでもたいへん有名で人気があるのだという。

このTOTIBADZEギャラリーのスタッフ、イリーナは、ショートカットのにこやかな女性で、英語とロシア語を織り交ぜて、身振り豊かに私と会話してくれた。そして、WINZABODから歩いてすぐのところにある別のアートスペースのことも紹介してくれ、加えて、「10月25日の夜に、画家やギャラリーの関係者、近所の人たち、それから犬まで(!)集まるイベントがあるから、また来てみて!」とのありがたい情報も。私たちは笑顔で「またね!」と別れた。

 

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こういう偶然の出会いが嬉しい。上機嫌になった私は、ギャラリーのすぐそばにあった花屋に入って、そこのスタッフの女性にまで話しかけてしまった。「ここにある花はぜんぶロシアのですか?」と聞くと、長い髪が美しいその女性は、「ええ。あとはオランダ。あなた日本から?私たち、日本でしかとれない花も売ることがあるのよ」と、作業の手を休めることなく、それでも穏やかに説明してくれた。

自分から話しかけるだけで、どんどんどんどん、扉は開いていく。こんなこと話しても無駄じゃないかな、失敗して通じなかったらどうしよう、そうやって逡巡しているのはもうすでに、実は対話を求めている証拠なのだ。

 

 

イリーナに紹介してもらったもう一つのアートスペース、その名も"ART PLAY”は、先ほどのWINZAVODよりもさらに「街」のような雰囲気を出していた。レンガ造りの古びた建物の中に、アート関係の新刊や古本を集めた本屋、大人のための絵画教室のスタジオ、パブやカフェ、イベントスペース、雑貨屋が入っている。こちらは若い人たちで賑わっていて、ちょっとしたデートスポットにもなっているみたいだ。

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子どもが描いたようなあどけない、でも作為のないごく自然なイラストをプリントしたグッズのお店が目に留まったので、中に入ってみた。この絵は誰が描いたのですか?と若い女性のスタッフに話しかけてみると、モスクワに住む障害者の人たちの作品だという。

どこから来たの?と聞かれて、日本からですというと、女性の顔がぱっと明るくなった。一時期日本語を勉強してて、日本にも行ったことがあるという。聞けば、私が通うモスクワ大学の卒業生だとか。

「あなたが最初何人かわからなかった!中国人でも韓国人でもなさそうだし、でも日本人にしては黙らずに話しかけてくるし、そしたら台湾人かな~?って思ってたの」と。

彼女はカーチャといい、彼女が日本語を学んでいたときの苦労、日本に行ったときに驚いた話などをたくさんしてくれた。そして、「お店のショップカード、日本語のものがないから翻訳してくれない?あと、今度モスクワ案内するわよ!」と嬉しいお誘いも。もちろん快諾。彼女が話すロシア語に、半分程度の理解だけどなんとかついて行けたこともうれしかったし、こんなふうに町の中で友だちができることは、本当に何よりもわくわくすることだ。

 

カーチャと別れた後、ART PLAY内の本屋に寄って、この日の思い出のために、男の子と女の子がダンスをしている、かわいいメッセージカードを買った。

セーターを着て、ひげを生やした寡黙な男性の店主は、私が差し出したカードを静かに受けとり、私が支払うと、そっとまた返してくれた。本が好きそうな男性。どんなことを考えているんだろう?どうしてこのお店をやっているんだろう?どんな本が好きなんだろう?たくさんのことを尋ねてみたくなる。

 

 

 

夜、パンパンにむくんだ、疲れ切った足で帰宅し、パソコンの電源をつけた。日本の友人がSNSに投稿した、ある文章が目に留まった。

 

「『世界に誇る日本文化』なんてどうでもいい。というか、○○文化なんてものはどうでもいい。それでも、目の前にいるその人の中に、それは全部詰まっている。生活の中にある、一人ひとりの物語に、耳を傾けよう」と。

 

本当のことだと思った。私ももう、「ロシア文化」や「日本文化」に関心があるわけでもない気がする。私はただ、いつだって、たった一人の人に出会いたいのだ。たった一人の人の毎日のこと、その人が愛する世界を知りたいだけだ。びくついたり後ろ向きになったりしながらも、その世界の方へ手を伸ばすために、自分を何度も奮い立たせているような気がしている。いつも上手くいくわけでは決してない。それでも今日というこの一日は、友人のこの投稿の言葉の意味を、じっくりかみしめたような時間だった。