Happy Unbirthday Songs

hokkaido→tokyo/tsukuba→moscow

モスクワ、はじまる。

9月7日(水)

 朝6時起床。ブレーカーを落とし、ガスの元栓を閉め、あらゆる排水溝をラップで塞いで虫の侵入に備えた。この家はこれから10か月間開けることになる。ときどき来て、空気の入れ替えをしてくれることになった友達に感謝する。

 7時、迎えに来たタクシーに乗って駅に向かう。大きなスーツケースの荷物が2つもあり、加えて雨が降っていたので、少しお金は出しても、タクシーに来てもらってよかったと安堵する。もうすぐまた台風が来るみたいだけれど、成田は大丈夫でしょう、と運転手が話す。

 駅のバス乗り場に着くと、まだ7時過ぎだというのに長い人の列。結局、すべての人と荷物を乗せるために、15分遅れて発車した。バスの中で偶然、同じゼミの女の子に会う。彼女も今日から、東南アジアにボランティアに行くという。バスに揺られているうち、慣れ親しんだ町の景色が飛んでいく。統一性のないごちゃごちゃとした看板、田んぼ、ファミリーレストラン・・・。この場所とはしばらくの間、お別れする。

 

 成田空港第1ターミナルに着き、アエロフロートの受付カウンターへ。カウンターはバスの降りた場所から離れた場所にあったので、大型のカートにスーツケースを乗せて運ぶ。二つの合計は40kgを優に超えているのではと見積もっていたので、数万程度はオーバーチャージとして請求されるのではないかと覚悟していたが、何も言われなかった。これでモスクワまでの直行便の料金が65000円なのだから、本当に安い。私の他には、これから留学に行くと思しき若い人たちと、高齢の団体旅行客、そしてスキー競技の選手たち。3メートル近いスキーケースが、目の前でどんどん積みあがっていく。

出発の一時間前には搭乗ゲート前に着き、ロシア語の音読練習をする。搭乗ゲート付近のテレビでは、メジャーリーグの試合が放映されていて、イチローがツーランホームランを放っていた。しばらくすると、同じ大学にこれから留学するNちゃんが来た。彼女によれば、先ほどこの空港にジャンプスキー選手の高梨沙羅選手が来ていて、報道陣に囲まれていたのだという。イチローはHRを打つし、私と同郷の高梨選手は空港にいるしで、なんだか幸先が良い。

 

 登場開始時刻になり、機内に乗り込む。アエロフロートキャビンアテンダントの女性は、真っ赤な制服を着てスカーフを首に巻いている。男性は白のシャツに、おしゃれな葦草模様があしらわれた紺のネクタイがかっこいい。美男美女ばかり。

 飛行機は定刻の12時に離陸した。座席で隣なった女の子は、モスクワで乗り換え、イタリアへ留学しに行くのだという。彼女も私と同じ4年生。帰ってきた後は公務員になって街づくりに関わりたいらしい。興味があることを言語化できている人なのだと思う。何になりたいのかと聞かれるといつも言葉に詰まる。尊敬できる仕事をしている人にもたくさん出会ってきたし、これはやりたくないなと思う仕事もたくさんある。何かになる、というよりは、やりたいことをやりたい、と考えている。このように文章に残すこと、町の魅力に出会うこと、すなわち人に出会うこと、芸術に触れること。それでも私の場合は、もうすこし詰めていかなければいけないのだろうなとも感じている。

 

 そうこう考えているうちに、ランチの時間に。「チキン」と頼むと、ごはん、鶏肉と大根の煮物、寿司サラダ、パンが出てくる。どう考えても炭水化物が多い。お寿司はおいしい。すべては食べきれなかった。このあと出てきたディナーは、ビーフ入りのカルボナーラパスタと言う感じでおいしかったのだけれど、これも完食はできなかった。朝もおにぎり一個しか食べていないのに、どうも食欲が無い。

映画『デルス・ウザーラ』を観ることにしたが、途中で眠りに落ちてしまう。目覚めた後は、機内誌でモスクワのイベント情報を得たり、地球の歩き方を読んだり、なぜかボブ・マーリーを聴いて踊り出したくなったり。機内誌によれば、9月と10月は思いのほかアート関係のイベントがモスクワで多く、わくわくする。日本の書店で並べられているようなガイドブックに載っているモスクワは、全体の一面でしかないと思う。できるだけいろんな場所を歩き回りたい。

 

 成田空港を出てから10時間近くが経過し、機体は雲の下へ出た。森の合間に、オレンジ色っぽい屋根の家が密集している光景が続く。モスクワ郊外の街並み。その間を、大きな川が蛇行している。モスクワ川だ。その滔々と流れている様子にしばし見とれる。飛行機はまるで乗客に景色を楽しませてくれるかのように大きく旋回して、シェレメチェヴォ国際空港に着陸した。

 荷物を取り、到着ゲートに出ると、私がこの秋から留学する予定のモスクワ大学に通うサーシャさんが迎えに来てくれていた。小柄で、優しそうな顔をした男性。彼が私とNちゃんのためにタクシーを手配し、モスクワ大学の寮まで連れていってくれることに。大きな荷物をトランクにぎゅうぎゅうと詰め込んで、タクシーは高速道路を走りだした。しばらくの間、あたりには何もなかったが、しだいにソ連時代からあると思われる集合住宅が顔を見せ始めた。

 サーシャはモスクワから150kmくらい離れた町の出身で、博士課程でナノ分子の研究をしている。ちょうど来週、カンファレンスで東京と神奈川にも行くらしい。私が、車窓から見える景色がまさしく社会主義のイメージだと言うと、

ソビエト時代の建物は、たしかに大型のものが多いけれど、年代によって建築様式が違うんだ。たとえば50年代ごろはスターリン様式が流行って、美しい建造物もあるけれど、80年代になると、政府はお金を節約するためにより簡素なつくりに変えた」とのこと。

 今、モスクワは山手線のようなリング状の路線を作ろうとしていて、もうすぐオープンするという。今までは乗り継ぐために、いちいち中央に行かなければいけなかったけれど、これからずいぶん楽になるらしい。

 モスクワが好き?と聞いてみると、サーシャ曰く、モスクワは住みやすくていろんなことが目まぐるしく変わる街だと思うから自分は好き。でも他の多くのロシアの町はもっとのんびりしているから、モスクワを好きでないという人もいるという。それは東京の場合も同じだ。

 モスクワ・シティと呼ばれる高層ビルのエリアを左手に見ながら、私はいまのロシアの経済状況について尋ねてみた。

 「ロシア経済は悪化している。大型の企業は、長いコネがあるからすぐにその影響が見えるわけではないけれど、小さな企業はすでに影響を受けている。でも今年の終わりごろには、大企業にもダメージが出てくるとは思う」

「それでもプーチン政権の人気はすごいでしょう」

「うん、オフィシャルな調査で85%、非公式な調査でも75%の支持がある。マスメディアと政府が完全に癒着して、プロパガンダが行われている。すべてはうまくいっているんだと。それを多くの人が信じてしまう。もうすぐ議会選挙があるから、その選挙までにたくさんの工事を行って、経済は順調なんだと演じようとしている」

「でもあなたはメディアを信じていないみたい」と私が言うと、彼はどこか悲しそうに、「うん、信じていない」と言った。無力感をおぼえることはないのだろうか。

 

 空港から50分ほど走ったところに、私たちの前に巨大なホテルのような、スターリン様式の建物が現れた。これがかの有名なモスクワ大学。1953年に完成し、本部棟の高さは32階建て、両ウィングの寮も17階建てだという。写真で見ていたよりもきれいだが、頂部にはソ連の象徴である、ハンマーとカマのマークが輝いており、何やら底知れぬ迫力がある。タクシー代はたったの2000ルーブルだった(3000円くらい!)。中の人に話をしてくるから少し待っていて、と言い、サーシャは走って大学の中まで行ってきてくれる。もう風が冷たい。

 しばらくするとサーシャが来て、大学の中に入れることになった。門番にビザを見せて、重たいスーツケースを引き、階段をえっちらえっちら登り、登録をする。それからまたサーシャの後に続き、別の部屋で寮の部屋の鍵をもらう。部屋は個室、トイレとシャワーはふたりで共用。オンボロ度はすごいけれど、これから少しずつ手を加えていけばいいし、冷蔵庫が無いこと以外は予想通りだったので安心した。

 荷物を部屋に置いた後、大学の食堂で風邪薬みたいな味のいちごオレを飲む。サーシャはまた明日手伝いにくる、全て大丈夫と言って、私たちの不安を和らげようとしてくれた。この人がいなければ、こんなにもスムーズに部屋まで来ることは不可能だったろう。本当に感謝。

 食堂を後にして、これも構内にあるスーパーで水とチーズを買う。部屋に戻ろうとして、最初に到着したときと同じ部屋番号のドアの前に来たのだが、カギは開かないし中から野太い男の人の声が聞こえる。周りの景色もなんだか最初に来た時と違うような気がして、女性の警備員に尋ねると、ここはБ棟(アルファベットのBにあたる)で、私たちの部屋はB(Vにあたる)棟だったということがわかった。ロシア語の発音の重要性を痛感。あの声の主が出ないで本当に良かった。警備員のおばさんにも、単純なミスをする私を見て苦笑い。

 必死にB棟を探し、オンボロのエレベーターに乗る。7階のボタンは押しても点灯しないのだけれど、停まることには停まる。がたがた揺れるし、停止の瞬間はなぜか上から下にがたんと落ちるし、心臓に悪いことこのうえない。このエレベーターの中に閉じ込められたら、生還は難しいだろうと覚悟した。 それだけは避けたい。

 かくして、モスクワ1日目は目まぐるしく過ぎていった。