Happy Unbirthday Songs

hokkaido→tokyo/tsukuba→moscow

書く理由

このところ、ずっと、文章が書けなかった。時間がなかったわけでも、退屈な日々が続いたわけでもない。ただ、「これを書きたい」という意志が湧いてこなかった。欲求が全然なかった。

 

でも、私にとって書くってどういうことなんだろう?って考えてみた。

見たもの聞いたものを記録するために、過ぎ去っていく思い出の一つ一つを取りこぼさないために書いているのだろうか。

答えはNOだ。

確かにフィールドワークのときは、もうやりすぎってくらい、デティールにこだわって、余すところなく記録しなければいけない。

でも、ここでこうして、自分で言葉を選んで自由に絵を描くようなときは、そうではない。

むしろ、「今」この瞬間を生きるために、その躍動感をドライブさせるために、私は書いている。時間を進めるために、自分が納得して生きることが出来るように、書いている。

 

ブログのタイトルも、これまで「モスクワ日記」という形をとっていたのだけれど、それもやめた。

私はどこにいようと、そこで出会った一番面白いもののことを書きたいと思っている。そして、それは単なるガイド的なものではなくて、ちゃんと、私という一人の人間の思考の軌跡がわかるようなものでありたいと思う。

 

子どものころ観ていたアニメ、『不思議の国のアリス』で、大好きな歌があったのを思い出した。

『お誕生日じゃない日のうた』という。キャラクターたちが、お茶の席を囲んで、「なんでもない日ばんざい」と歌うのである。

 

なんでもない日が、いちばん大事な日だと思う。もういっかい、明日からがんばりたい。

北朝鮮料理屋に行く

日本人留学生で、私より半年ほど早くモスクワに来た友人が、「おいしい北朝鮮料理屋があるから行ってみようよ」と誘ってくれた。

日本で北朝鮮料理屋を訪れるチャンスはほぼゼロと言って良いだろう。韓国は日本にとってとても身近な国だけれど、北朝鮮と聞くと、なんだか地球の反対側にある国よりも遠く感じてしまう。

それでも先日、モスクワの赤の広場で、金正日金正恩のバッジを胸につけて歩く男性とすれ違った。しかも今回は北朝鮮料理が食べられる店があるという。さすがロシア、旧社会主義国だなあと私は驚いた。興味津々で、私は友人の後をついていくことにした。

 

私たちの最寄り、ウニヴェルシチエット駅の側から、トラムで15分ほど離れた停留所で降りる。そこから少し歩き、目立たない駐車場の中を通り抜けたところに、さらに目立たない2階建てほどの建物があった。

重たいドアを開けると、「ようこそ」と書かれた天女の絵が出迎えてくれた。ここが北朝鮮料理屋の入り口である。知る人ぞ知る場所、というか、友人がいなかったら絶対に来れていなかっただろうなと思った。

地下へ降りると、思いもよらず清潔感のある空間が広がっていた。すでに私たちより前に、韓国人と思われる団体や、中国人、ロシア人が食事を楽しんでいる。店の奥の方はバーのカウンターのようになっており、飲み物はそこから、食事は奥の厨房から運ばれてくるらしい。日本のテレビでもすっかりおなじみの、キム総書記を称える歌謡曲が店内に響き渡っている。壁には、先ほどの入り口のところにも描かれていた天女が、桃源郷のような場所で水浴びを楽しんでいる様子が大きなスケールで描かれている。これは北朝鮮の伝説なのだろうか。

 

私たちを見て、白と黒のチェック柄のジャケットとミニスカートを身にまとった女性店員たちが、「こんにちは」と挨拶してきた。皆、流ちょうにロシア語を話し、顔立ちのくっきりした美人である。全員が黒い長髪を後ろで束ね、前髪は逆立てて頭頂部でボリュームを出し、余った髪を薄く垂らしている。なんだか80年代から90年代くらいに、日本でもこんな髪形が流行っていたよなあとしみじみする。一、二昔前の歌謡曲をぼうっと聴き、一、二昔前のウェイトレスの髪形を眺めているうちに、現在が2016年なのかどうかわからなくなってきた。私はいったい、いまどこで何をしているのだろう?

 

席に案内され、ビビンパ、キムチチャーハン、貝のオイスターソース煮、鴨肉の鉄板焼き、冷麺を注文する。煎茶をすすりながら、私は座席の正面の壁に設置された、テレビ画面から流れる映像にくぎ付けになっていた。それは北朝鮮の建国70周年を祝う大式典の記録で、ライトアップされたスタジアムで、バックバンドの伴奏と共に女性歌手たちが甘い声で歌い、ダンサーたちが一糸乱れぬ演技を披露するものだった。先ほどから聞こえていた歌謡曲は、このコンサートで歌われたものだったのだ。ステージ背後の巨大スクリーンには、金正恩の笑顔や、ロケットの実験の様子が流されている。客席では男性たちが、大きい手振りで、いつまでもいつまでも拍手をしている。それらの映像が、永遠に繰り返されるのだった。

この店は明らかに、背後に国家が関係していると私は思った。レストラン自体が、北朝鮮の広報活動拠点になっている。実際、ウェイトレスたちは感じが良く、頼んだ食事はすべておいしかった。味付けもちょうどよく、久々に辛い料理を食べることが出来て(ロシアにはほとんど辛い料理が無い)、値段も高すぎず、私たちは楽しいひと時を過ごした。日曜日の店内はほとんど満席だった。食後のデザートの大福を待っている間、私は無意識のうちに、かの歌謡曲のメロディーを口ずさんでしまっていることに気が付いた。

 

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(上)入り口の絵

 

 

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(上)ビビンパ、鴨肉の鉄板焼き

 

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(上)客の写真撮影に快く応じる女性店員と、70周年式典ビデオ、そしてチマチョゴリ

カルチャーセンター・ドム(культурный сентер ДОМ) その1

朝の10時からお昼過ぎまで授業を受けた後、ナヴァクズネツカヤ駅の側のカルチャーセンター・ドム(家)に行くことに。10月11日と12日に公演予定の、河内純さん監督の音楽詩劇、「ドリーンニェ・ルキー(長い手)フェスティバル」のチケットを買うためだ。

5月に新宿で行われた石橋幸さんのライブを聞きに行った際、私は偶然、バックでストリングベースを演奏していた河内さんとお話する機会に恵まれた。このライブでは、石橋さんが何十年にもわたり集め、歌い継いできたロシアのアウトカースト、主にジプシーの人たちの歌を聞くことができた。石橋さんの声には迫力があり、優しさがあった。

その歌声をバックで支えていたのが河内さんである。河内さんは楽器の演奏だけでなく、オリジナルの「音楽詩劇」の監督もされていて、来る10月、アルメニアとモスクワにて、日本の仲間たちやロシアの音楽家と共に公演を行うのだという話を伺っていた。こうしてモスクワで、河内さんの演奏や作品に触れられることができるというのは、本当にうれしいことだと思う。

 

私の最寄駅から2回の乗り換えを経てナヴァクズネツカヤに到着する。18時をまわったモスクワは帰宅ラッシュ、駅はたいへんな人混みだ。みんな足が長いからなのだろうか、とにかく歩くのが速いこと速いこと。私はただ一人、事前に調べた地図に目を凝らし、一度、曲がる通りを思い切り間違えながらも、なんとかドムと思しき施設の前に到着した。

外見はこじんまりとした、目立たない白壁の建物なのだけれど、ドアを開けるとすぐ、リハーサル中なのだろうか、楽器のチューニングやマイクのテストをしているような音が聞こえた。入り口のおじさんに、チケットを買いたいんですけどと伝えると、あっち、と奥の部屋を教えてくれた。

部屋の中に入ると、書類に囲まれた机の前の椅子に、40代くらいの男性が座っている。男性は突然の私の訪問に少し驚いたようだったけれど、10月11日と12日の、「長い手」のチケットが欲しいんですと伝えると、ああ了解、というように、机の引き出しから白い紙きれを出し、そこにスタンプを押していった。1公演800ルーブル(約1200円)のチケットを2枚買う。3時間ほどの公演だと聞いていたけれど、こんなお手頃な値段でいいのかとすこし驚く。髭を生やし、手元のマグカップには真っ黒なコーヒーが入っていて、ほんの少しとっつきにくそうな雰囲気のある男性だったけれど、私は、なんだか妙に話しかけたくなってしまった。

「河崎さんご存知ですよね?わたし、東京でお会いしたんです」というと、「あ~」という顔で、男性の表情が少し緩んだ。その後に彼がなんて言ったのか、残念ながら聞き取れなかったのだけれど、「来てください来てください」と言ってくれたのがうれしかった。チケット買うためだけに1時間かけてやっとこさ来たのだけれど、やっぱり人に会って話すことができれば、そんな時間や疲れなんてふっとんでしまうのである。

 

それにしても、公演、本当に楽しみ!

生きたコイ、値下げ中

朝起きて、授業で配られた対話形式のテキストを音読する。11時ごろ、ロシアの滞在手続きに必要な書類を提出し、寮費の支払いを行うため、寮の1階の事務室に行くことに。

 

事務室と言っても、広い空間に机が並び、皆がパソコンに向かい業務を行う・・・というような日本の光景とは違う。廊下の両脇に個室があり、部屋によって担当する業務は異なっている。

私が今日向かったのは、寮の滞在手続きの管理を行うおばさんのところだった。大柄で、黒髪のショートスタイルに眼鏡をかけた二コリともしないそのおばさんは、以前に別の手続きで訪れたときもこの日も、ロシアのポップミュージックをガンガンと大音量で流していた。パソコンの画面をちらりと見ると、仕事ではなく映画を観ているところだった。おいおい。

このおばさんは日本人留学生の間で、「プロプスクばばあ」と呼ばれている。プロプスクとは大学と寮への入館証で、これがなければ私たちは決して施設の中にも部屋の中にも入ることができない。「プロプスクばばあ」はこの入館証の発行を担う重要人物なのだが、やはりすこぶる愛想がなく厳格なので、数々の学生たちが提出物の不備を指摘され、突き返されてきたのだ。私は恐る恐る「プロプスクばばあ」に書類を提出し、よろしい、という御赦しを頂いた。

食堂で食事を済ませた後(この日はデザートがバナナクレープだった!)、今度は寮費の支払いの部屋に。10か月分の家賃が約12000ルーブル、2万円くらいなのだから激安だ。

 

 

この日のもう一つのイベントは、先日、寮の相部屋仲間のNちゃんと一緒に洗濯所に行ったとき、偶然知り合ったロシア人女性に日本料理を作ることだった。とりあえず冷や麦とお出汁、そしてなぜか、わらび餅をつくるセット(わらび餅粉・きなこ・黒砂糖)を日本から持ってきていた。それでも冷や麦だけじゃ寂しい。もううどんみたいになってもいいから、具になる野菜を買っていこうと、われらがスーパー、「アシャン」にいそいそと向かうことにした。

 

野菜売り場で買い物を済ませ、ふと魚売り場の方に寄ってみる。氷が敷き詰められた台の上に、オヒョウ、サバ、サケ、チョウザメ、カレイなどが並べられているが、その脇の水槽に、魚が泳いでいるのを発見する。天井から吊るされたプレートを見ると・・・「値下げ!生きたコイ」との表示が。ちょうど中年の男性が、魚売り場の店員のところへ行き、コイを買い求めているところだった。店員は網をもってきて、コイをすくいあげた。私はピチピチとコイがはね、しぶきを散らす光景をイメージしていたのだけれど、残念ながらこのモスクワの郊外のスーパーマーケットまで運ばれてきた彼らに、もうそんな力は残されていなかった。ぐったりとしたコイを、男性は3匹も買っていく。正直言って、まったくおいしそうではない。いったいどんな調理をするのか。どうしても気になり、男性の次にコイを買い求めたおばちゃんに突撃取材を行った。

 

「あのーすみません。そのコイ、どうやって料理するんでしょうか」

「焼くの」

「あ、スープとかじゃなくて?」

「スープでもいいけど、まあただ焼くわね」

「おいしいんですか?」

「おいしいわよ~。あなたたちどこから?JAPAN?Good Luck!」

 

おばちゃんは颯爽と去っていった。

 

部屋に戻り、硬い硬いニンジンと大根を醤油で煮込み、冷や麦をゆがいて、わらび粉と黒砂糖、水を鍋で熱してかき混ぜ続け、なんとかなんとか、料理は完成した。

ロシア人女性、カーチャさんは、笑顔の素敵な院生で、差し入れにデニッシュのようなパン、そしてロシア語の教科書まで買ってきてくれた。わたしたちは麺をすすりながら、家族構成や趣味、ロシアのことや日本のことについて雑談した。ロシア語だったのでうまく伝わったかわからないが、日本は暑中見舞いにそうめんなどを贈る慣習があること、なんでロシア人カップルは人前でいちゃつくのかということについても話した(後者のテーマについては、逆になぜ日本人はしないのか?というカーチャさんのもっともな返答で幕を下ろした)。

彼女はうれしそうに、スマートフォンに保存された彼女の家族写真を見せてくれた。彼女は5人兄弟の2番目、モスクワから2000キロ離れた町の出身だという。大家族のきれいな集合写真。お父さんとお母さんは仲が良さそうにお互いの腕を組んでいる。  

 

聞き取れない単語がたくさんあって、何度も私たちは言葉に詰まったけれど、それでもコミュニケーションの流れのようなものは存在していた気がする。こうやって偶然の出会いに身をまかせ、どんどん場数を踏んでいくことが必要だなーと改めて思う。

モスクワのアートスペース(VINZABOD, PLAYART)

 

昨日の夜、今日は思い切り、自分を遊ばせるのだと心に決めていた。アート関係の場所で面白そうなところをネットでチェックして、行き方までぜんぶ調べて、白い陶器でできた花のネックレスを耳に付けて、準備万端で私は寮の外へ踏み出した。

 

一人で歩いている。誰かと歩くことは、一人ではできないような経験を共有できることだから、それはそれで楽しい。でも一人のときは、誰にも気をつかわずに、立ち止まってカメラのシャッターを何度でも切ることができるし、あれこれ妄想を膨らませることもできる。すれ違う人々の服装や顔つきを観察しながら、私は彼らの毎日に思いを巡らす。つい数日前に地下鉄に乗っていたときにも、小学生くらいの女の子が携帯電話を耳にあてたまま大粒の涙を流し、人混みの中をかきわけ進んでいた。そんな一瞬の出会いの中に、本当に自分勝手ではあるけれど、時々ハッとさせられるのである。

 

パルク・クリトゥールィ駅で環状線に乗り換え、クールスカヤ駅へ。地上に出ると、がらんとした駐車場、雨風でボロボロになっても壁にへばりついたままの張り紙たち、錆びれた雰囲気の飲食店、公衆トイレとその門番の人、そして灰色の空が広がっていた。

 

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何人かに道をたずね、落書きだらけの小さなトンネルを通過し、窓の割れた集合住宅を横目に見て、角を曲がると、"VINZAVOD"と書かれたゲートを見つけた。かつてこの場所は、その名の通りワイン工場だった。現在はレンガ造りの古い建物や倉庫をリメイクして、コンテンポラリーアートのギャラリーやカフェ、デザイン会社などの集合スペースになっている。

 

ほとんど人通りが無いことに戸惑ったが、とりあえず倉庫の中に入ってみると、天井の高い開放的な空間の中に、4つほどのギャラリーが広がっていた。そのうちの一つで展示されていた、フョードル・サヴィンツェフという人の写真が目に留まる。グルジアの集合住宅の窓、アルプスの家々、北オセチアの山の雪景色。広いスケールで余すところなく対象を捉えているのに、その中の一つ一つの質感、ディテールはとても繊細だ。ともすれば寂しい、静かな、決して華やかではない世界を映しているけれど、ちゃんと息遣いのようなものを感じることができる。

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その隣のギャラリーにも顔を出してみると、こちらはロシアの近現代の画家の作品を展示していた。色使いも自由で、煙草の箱ばかり描いた、ポップな印象の絵もある。観終わってギャラリーを後にしようとすると、椅子に座っていたスタッフの女性に何か呼び止められた。私が聞き取れなかったのでぽかんとしていると、彼女は英語で、「ここに来た記念に持って行って」とギャラリーのカードを渡してくれた。

私は礼を言ったあと、日本から来たのだというと、彼女は「まあ!」と笑顔になった。そしてギャラリー内に展示されていた、パリの街並みを描いた風景画を指し示しながら、「この風景は、日本の宮崎監督の作品にも出てきそうよね」と話した。宮崎監督はロシアでもたいへん有名で人気があるのだという。

このTOTIBADZEギャラリーのスタッフ、イリーナは、ショートカットのにこやかな女性で、英語とロシア語を織り交ぜて、身振り豊かに私と会話してくれた。そして、WINZABODから歩いてすぐのところにある別のアートスペースのことも紹介してくれ、加えて、「10月25日の夜に、画家やギャラリーの関係者、近所の人たち、それから犬まで(!)集まるイベントがあるから、また来てみて!」とのありがたい情報も。私たちは笑顔で「またね!」と別れた。

 

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こういう偶然の出会いが嬉しい。上機嫌になった私は、ギャラリーのすぐそばにあった花屋に入って、そこのスタッフの女性にまで話しかけてしまった。「ここにある花はぜんぶロシアのですか?」と聞くと、長い髪が美しいその女性は、「ええ。あとはオランダ。あなた日本から?私たち、日本でしかとれない花も売ることがあるのよ」と、作業の手を休めることなく、それでも穏やかに説明してくれた。

自分から話しかけるだけで、どんどんどんどん、扉は開いていく。こんなこと話しても無駄じゃないかな、失敗して通じなかったらどうしよう、そうやって逡巡しているのはもうすでに、実は対話を求めている証拠なのだ。

 

 

イリーナに紹介してもらったもう一つのアートスペース、その名も"ART PLAY”は、先ほどのWINZAVODよりもさらに「街」のような雰囲気を出していた。レンガ造りの古びた建物の中に、アート関係の新刊や古本を集めた本屋、大人のための絵画教室のスタジオ、パブやカフェ、イベントスペース、雑貨屋が入っている。こちらは若い人たちで賑わっていて、ちょっとしたデートスポットにもなっているみたいだ。

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子どもが描いたようなあどけない、でも作為のないごく自然なイラストをプリントしたグッズのお店が目に留まったので、中に入ってみた。この絵は誰が描いたのですか?と若い女性のスタッフに話しかけてみると、モスクワに住む障害者の人たちの作品だという。

どこから来たの?と聞かれて、日本からですというと、女性の顔がぱっと明るくなった。一時期日本語を勉強してて、日本にも行ったことがあるという。聞けば、私が通うモスクワ大学の卒業生だとか。

「あなたが最初何人かわからなかった!中国人でも韓国人でもなさそうだし、でも日本人にしては黙らずに話しかけてくるし、そしたら台湾人かな~?って思ってたの」と。

彼女はカーチャといい、彼女が日本語を学んでいたときの苦労、日本に行ったときに驚いた話などをたくさんしてくれた。そして、「お店のショップカード、日本語のものがないから翻訳してくれない?あと、今度モスクワ案内するわよ!」と嬉しいお誘いも。もちろん快諾。彼女が話すロシア語に、半分程度の理解だけどなんとかついて行けたこともうれしかったし、こんなふうに町の中で友だちができることは、本当に何よりもわくわくすることだ。

 

カーチャと別れた後、ART PLAY内の本屋に寄って、この日の思い出のために、男の子と女の子がダンスをしている、かわいいメッセージカードを買った。

セーターを着て、ひげを生やした寡黙な男性の店主は、私が差し出したカードを静かに受けとり、私が支払うと、そっとまた返してくれた。本が好きそうな男性。どんなことを考えているんだろう?どうしてこのお店をやっているんだろう?どんな本が好きなんだろう?たくさんのことを尋ねてみたくなる。

 

 

 

夜、パンパンにむくんだ、疲れ切った足で帰宅し、パソコンの電源をつけた。日本の友人がSNSに投稿した、ある文章が目に留まった。

 

「『世界に誇る日本文化』なんてどうでもいい。というか、○○文化なんてものはどうでもいい。それでも、目の前にいるその人の中に、それは全部詰まっている。生活の中にある、一人ひとりの物語に、耳を傾けよう」と。

 

本当のことだと思った。私ももう、「ロシア文化」や「日本文化」に関心があるわけでもない気がする。私はただ、いつだって、たった一人の人に出会いたいのだ。たった一人の人の毎日のこと、その人が愛する世界を知りたいだけだ。びくついたり後ろ向きになったりしながらも、その世界の方へ手を伸ばすために、自分を何度も奮い立たせているような気がしている。いつも上手くいくわけでは決してない。それでも今日というこの一日は、友人のこの投稿の言葉の意味を、じっくりかみしめたような時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一人で潜ること

 

このところ、大学関係の書類手続きや、知人との約束、授業で指定された教科書を探し回る旅に追われて、ほぼ毎日、モスクワの中心部へ通っていた。急に寒くなって風邪気味だったけれど、それでもやるべきことは次から次へと降ってきた。私は少し無理をして、できるだけ明るく振る舞っていた。

 

毎日のロシア語の授業は充実した内容で、クラスメートたちは優しくて、居住環境はそれなりに整っていて。今、私が置かれているのはそういう環境だ。

 

でも今朝の私は、「それだけじゃだめだ!」と強く強く思った。

 

なんかこう、「飢え」のようなものがないのである。

「このひとには敵わない」というような、鮮烈な出会いがないから、「こんなふうになりたい!」という欲望がない。

そもそも、そんな鮮烈さに出会うための行動を、私自身が、ぜんぜんぜんぜん、起こせていない。

 

与えられた課題をこなすことは、誰でも、がんばればできる。

せっかくロシアに来たのだから、せっかく日本を離れたのだから、私は、今ここでしか見れないものを見て、感じて、それを形に残さなければいけない。それは、誰かに与えられたものだけをやっていたらできない。

 

そのことにいったい何の意味があるんだろう?何に役立つんだろう?なんてことを、この数日、ずっとぐだぐだと考えていて、結局、風邪を言い訳にさぼっていた。

 

別に意味はないかもだけど!でも動かなきゃ。そして、本当の瞬間は、きっと、一人っきりで対峙するものだ。一人で潜る時間、それが今朝の私が欲していたものだ。一人っきりで潜ったときに、聞こえてくる歌や声がある。その先に、きっと誰かに会える。

 

何の根拠もないけれど、明日は、思いっきり自分を遊ばせたほうが良い気がする。

 

 

 

 

感じの良い職場

9月20日(火)

 

 授業が本格的に始まり、なんとなく日々のペースが確立してきた今日この頃。宿題の量は多いけれど、まあ一つ一つ地道にこなしていくしかないんだろうなと思っている。

 

 今日は授業終了後、Nちゃんと一緒にロシアの銀行、сбербанкに再び行くことに。先週訪れたときは仮カードの発行だったので、今日は本カードを受け取りに来た。大学のそばから10分ほどメトロに乗って、一見、そのへんに普通にあるアパートのようにしか見えない建物の中に入って階段を上ると、あら不思議、ちゃんと銀行の支店があるのである。今日は銀行の中も混雑していて、みんな、自分の待ち番号がいつ呼ばれるのだろうかと待っていた。

 わたしたちの番号が呼ばれると、前回に来店したときに対応してくれた、若手の女性スタッフと男性スタッフ2人が笑顔で手を振ってくれた。男性スタッフの1人が、カードの保険の説明をしようとして、「ロシア語はできる?」と私に尋ねてくる。「少し」と答えると、彼は何とか英語で説明しようとしてくれるが、あまり英語が得意でないらしく、聞いていてもよくわからない。「ロシア語であなたの説明を聴いてみます」と伝えると、少しほっとした様子で、ゆーっくりゆっくり、説明してくれた。そしてやっぱり、よくわからなかった。。。

 銀行のスタッフたちは、その後の手続きの途中でも、私の電子辞書を手に取って"превет(やあ)"と入力してみたり、Nちゃんの500ルーブル(約800円)のスマホを見て「どこで買ったの?」と聞いてきたり、なんだかこちらがクスリとするようなツボを刺激してくる。

 彼ら若手スタッフだけでなく、ベテランの女性たちもまた、黙々と、でも時折チャーミングな笑顔を見せて仕事しており、お店全体に良い空気が流れている。お客との距離も近すぎず遠すぎず、日本のように変にペコペコしない。「ここは良い職場?」と先ほどの男性スタッフに尋ねると、笑顔ですぐに「うん」と返ってきた。

 

 そもそも、もし日本で、日本語をうまくしゃべれない外国人が銀行を訪れた場合、こんなスムーズに手続きが済むのだろうか?こんなにいろいろ、店員は話しかけてくるだろうか?

 私はロシアに来てから、あまり「外国人」として特別扱いされている気がしない。ロシア語が話せれば、その人はロシアに暮らす一員として認識されているように思う。

 帰り道にもおばちゃんに、「メトロはどこ?」と聞かれ(ロシア人はこの私にでさえ、よく道を尋ねてくる)、「こっち!」と大きな声で答えたのだった。

 

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