Happy Unbirthday Songs

hokkaido→tokyo/tsukuba→moscow

ドラン監督すごすぎだろ、と言いたい。

小学生の頃、周りの女の子たちがピンク色のシャツやフリルのスカートを身にまとう中で、私は男物の服ばかり着ていた。女の子らしい服が嫌いだったわけではなく、ただ親の趣味だったと思う。骸骨が描かれたパーカーやぶかぶかでダメージの入ったジーンズを着こなすうちに、私は「女子」として自分を認識するのが周囲よりだいぶ遅くなった。髪を長くしたこともなかった。

大学4年のときの飲み会で隣席になった男の子は、「女装バーでアルバイトしたい」と私に言った。端正な顔をしていて実際女の子にすごく人気がある人だった。私は話を聞きながら、彼のふわふわの長い髪の毛、細い腕、キメの細かい肌に見とれていた。女装しても彼はきっと素敵だろうと心から思った。私はもうその頃はメイクやアクセサリーに目覚めていて、男っぽい恰好をしたいとは思っていなかった。

 

性の境界なんて曖昧で、どんな服を着てもいいのだ、と頭では思う。でも身近なところに異性装を実行している友人はいなかった、もしくは気づかなかった。女装をしているタレントがテレビに出ているのを眺めていたり、女装しているおじさんをたまに地下鉄で見て、どきっとしているだけだった。正直、他人事だった。

でももしパートナーにある日突然、「性を変えたい」と打ち明けられたらどうするだろうか。女装した「彼」と、メイクやファッションの話をしたり、手をつないでデートしたり、友達に堂々と紹介できるだろうか。私はちっぽけな自分を捨てきれない気がする。周囲の目を気にしたり、パートナーに対し知らず知らずに男性像を押し付けてしまう自分だ。

 

1989年のモントリオール。高校の国語教師をするロランス(メルヴィル・プポー)は、撮影の仕事に励む情熱的な女性、フレッド(スザンヌ・クレマン)と深く愛し合っていた。だがあるときロランスは、「間違った性で生まれてきた、これからは女性として生きたい」とフレッドに打ち明ける。「これまでの2人の時間は嘘だったのか」と動揺するフレッド。彼女は悩みぬいた末、ロランスの女性としての生き方に協力しようと決意する。

この映画で印象的なことの一つ、それは見知らぬ人々の目、目、目だ。冒頭シーンでは、無表情で、冷たく、異質なものをみるような人々の眼差しに引き込まれる。女装をして初めて教壇に立ったとき、ヒールを鳴らして学校の廊下を歩くとき、レストランやバーに入るとき、好奇と驚きが入り乱れた人々の注目を、ロランスは一身にあつめる。女性デビューを果たしたロランスを応援するフレッドだったが、ある日二人で食事をしていたとき、ウェイトレスのロランスに対する無神経な態度を目の当たりにし、彼女の中で何かが完全に切れてしまう。

フレッドは必死だった。ロランスを愛している、でも自分が愛しているのは男性としてのロランスだった。ロランスは「夫と家庭」がもたらす幸せなんて幻想だと主張する。他の誰よりも愛しているのに、2人の求めるもののずれが露わになっていくのが見ていて辛い。別れて、また会って、それからまた別れて、季節が巡る。思い出を何度も何度も拭って、それでも互いを忘れられない。

ただし映画全体に溢れているのは、悲壮感ではない。衣装に音楽にカメラワークに、ハッと息を呑むような美しさ、繊細さ、大胆さ、ユーモアが散りばめられている。部屋で涙しながら大量の水を頭上から振りかぶったり、二人が歩く青空の日には、色とりどりの洋服たちが無数に降ってきたり。現実離れしたような仕掛けがあることで、画面のスケール感、物語のテンポ感がガラリと変わる。映画にはこんなことができるのか。若干23歳でこの作品を撮ったドラン監督の才能に嫉妬する。

 

『わたしはロランス』

監督:グザヴィエ・ドラン

出演:メルヴィル・プポースザンヌ・クレマン、ナタリー・バイ

製作:2012年(カナダ、フランス)

ふしぎなお土産の国 вернисаж(ヴェルニサーシュ)

昨日、私は吹雪に絶望していた。

3月上旬に入ってから、比較的穏やかな天気が続き、雪の下に隠れていた地面が顔をのぞかせていたので、私は希望に満ち溢れていたのだった。「よっしゃ春来るぜ!」と。その矢先の吹雪だった。

友人と「3月を送る会」という名目でランチに行ったのだが、春の芽吹きを感じられるであろうという期待とは裏腹に、外は銀世界だった。マグカップを持って、「…とりあえず、カンパーイ!」としようとしたそのとき、手元はぐらつき、紅茶はテーブルの上にこぼれてしまった。

帰り道、私たちはもう自棄になって、吉幾三ふうに、「太陽もねえ、春もねえ、気温もプラスに上がらねえ、俺らこんなとこいやだ~」と歌い、雪の中をかき分けていった。

 

* * *

 

…それはもうともかくとして、今日は見違えるような良いお天気だった。私はうれしくなって外に出かけることにした。行先は、измайлово(イズマイロヴォ)。モスクワ北東の郊外に位置する。「お土産屋さんがたくさんある」という情報だけを得て、とりあえず現地行けばなんとかなるだろといういつものノリで、私はメトロに乗り込んだ。

 

1時間ほど電車に揺られ、партизанская(パルチザンスカヤ)駅で降りてしばらく歩くと、なんともカオスな光景が目の前に飛び込んできた。

 

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ロシア正教クレムリンのような建物と、風車と、その奥の高層ビルと、工場の煙突と…。

そう、ここがизмайлово地区の中心で観光スポットでもある、「вернисаж(ヴェルニサーシュ)」の入り口だ。

 

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道の端では、おばちゃんたちがいろんなものを立って売っている。木の細工、スカーフ、お皿、バッジ・・・。モスクワでは地下歩行空間や地下鉄の側で、花や服を売っているおばちゃんたちをよく見かける。

 

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私もおばちゃんに勧められるまま、первое апреля(4月1日!)と書かれたバッジを購入。

 

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▲150ルーブル、約300円。ウクライナの都市、オデッサのものらしい。おばちゃんご自慢の自分のコレクションの一つ。おばちゃんはこの後、私と一緒に写真を撮ってくれた。

 

ゲートをくぐると、観光客向けのお土産物屋さんが軒を連ねる。マトリョーシカ、毛皮の帽子、スターリンやレーニンのグッズ…。

でも。でも。本当に面白い場所は、このまた更に奥にあるのだった。

しばらく歩くと、客引きの人は少しずつ減ってきて、地元の人が多く訪れる場所でもあるんだということが少しずつわかってきた。

 

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▲СССР(ソビエト連邦)のジャンパーでキメたおじさん。みんな何に集まってるのかな

 

個性豊かなお店が並ぶ。

 

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ソ連時代のポスターを集めたお店。屋根からもぶら下げていてかっこいい。たくさんのお店の中でも特に雰囲気がある。

 

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▲切手に夢中な人って、世界中にいるのだな

 

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▲焼き物。

 

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▲おじさんたくさん

 

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▲まいどあり!

 

普段過ごしていたモスクワの中心部とは違って、空気がツンツンしていない。それは、年齢層が高め、ということもあるかもしれないけれど、とくに役に立つわけではないけど、魅力的なもの…昔の個人の手紙とか、電話機、バラバラになった人形(ちょっと怖い)、そういったものを愛でる人たちの姿が、なんだかかわいらしかったのである。

あるお店のおばあちゃんは、夏用の水着を「質が良いのよ~」と勧めてくれた。「いや、春すらも来てないよ…」というと、「もうすぐよ!夏だっていつかくる!」と笑っていた。

 

そんなこんなで、とっても楽しい вернисаж(ヴェルニサーシュ)なのだった。

カフェでブリヌイ(クレープ)をほう張り、私はうきうきと家に帰った。

 

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chibaちゃんのこと

chibaちゃんの本名は、アンナという。モスクワの大学で建築の勉強をしている、19歳の女の子。chibaは彼女の苗字からつくったニックネームらしい。日本人みたい。ちばあんなちゃん。

 

日本語を勉強しているひとたちの集まりにボランティアとして顔を出したら、その中のひとりがchibaちゃんだった。帰り道、一人だけ帽子ではなくショールを被っているのが印象的だったので、きれいですねと声をかけてみたのだった。黒地に鮮やかなピンク色の花が美しいショールで、彼女の亜麻色の髪の毛がすこし覗いていた。

 

ありがとう、これお母さんが25年前に買ったものを、「ちょうだい~」って譲ってもらったんだ、とchibaちゃんは笑った。

 

最寄りの駅まで、大きな通りを歩きながら、いろんな話をきいた。chibaちゃんは日本に一か月、文科省のプログラムで滞在していたことがあるという。どこにいたの?と聞いたら、「帯広」だって。本当は沖縄希望だったんだけど、でもすごく気に入ったらしい。

 

なんだか話していて気が合ったから、連絡先を交換して、また会おうねって私たちは約束した。

初めての、同年代のおともだち。

 

次にchibaちゃんに会ったのは1週間後だった。ルビャンカ駅のプラットフォームの真ん中で待っていたら、またあの黒いきれいなスカーフを被った彼女が、向うからやってきた。

 

私たちは、駅を出てすぐの、детский мирという、子供向けのおもちゃ屋さんの中に入った。といってもおもちゃを買う訳ではない。屋上からの景色を見ようと誘われて、私は階段を上って行った。

 

屋上にあがると、すぐに、モスクワの中心部が一望できた。ものすごく高い建物ってわけじゃないから、見下ろすっていう感覚とは違う。なんだろう、こんな町だったんだなあって少しほっとする感じ。クレムリン、教会、ビル、そして遠くには大学も見える。「試験が終わってね、これから夏休みだ~っていうときに、よくここにきて、アイスクリーム舐めていたんだよ」とchibaちゃんは嬉しそうに言った。

 

屋上は人もまばらだったけれど、私たちからすこし離れたところに、ハタチくらいの男の子と女の子がいた。chibaちゃんが、あっ、とすこし驚いたような顔をした。男の子の方も、chibaちゃんに気付いて、同じ反応をした。chibaちゃんと男の子は友達だったみたいで、「モスクワは狭いね」みたいなことを話し合っていた。彼らと別れたあと、階段を降りながら、chibaちゃんは「あとで、もうちょっと詳しく話すね」とわたしに小さな声でささやいた。

 

おもちゃ屋さんの出口に向かいながらchibaちゃんは種明しをしてくれた。あの男の子とchibaちゃんは、数年前の夏、避暑地として有名なクリミア半島で出会った。お互いを気に入って、モスクワに戻ってから付き合い始めたのだけれど、彼はひとつ嘘をついていた。同じ年と言っていたのに、彼はchibaちゃんより本当は年下だった。自分を良く見せるためだったのかもしれない。しばらくして嘘はバレ、結局ふたりは疎遠になってしまったけれど、今はおもしろい友達だと思ってる、とchibaちゃんは言った。

 

その後、китай город(チャイナタウン)を抜け、クールスカヤ駅のちかくのショッピングモールに入り、わたしはクレープを、彼女はケンタッキーを食べた。

 

わたしたちは本当にいろんなことを話した。帯広のホームスティ先の家族が優しかったこと、彼女はローラースケートがとても上手でソチオリンピックの開会式にも出演したことがあること、デッサンがとても上手なこと、それから歴史のことまで。どうしてアメリカは日本に原爆を落としたのに、日本人はアメリカが大好きなの?と。どうしてなんだろうな。

 

すごく楽しくて、結局2時間くらいそこで話していた。ひとつ後悔していることが、「chibaちゃんはご両親と住んでるの?」とわたしが聞いてしまったこと。すこし彼女の表情が曇って、「お母さんと」と彼女はいった。「両親」じゃなくて、「家族」って言うべきだった。chibaちゃんの両親は数年前に離婚して、chibaちゃんはママと、弟はパパと住んでいて、ときどき会っているのだと後で知った。

 

うれしかったこともある。6月になったら、ダーチャに行こうと誘ってくれた。「私の家族のダーチャは、すぐ近くに川があって、毎年そこでバーベキューをするのが楽しいよ」

うん、きっと行ってみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとまとまった文章

しばらくここで文章を書いていなかった。以前から使っていた、日記の方に戻ることにしていた。ごく個人的なことは、やっぱりそこに書いた方が良いと思ったのだった。

 

でも私の日記は、一日に一ページだけ書くつくりになっているので、ちょっとまとまった文章を書くのには向いていない。今日は「ちょっとまとまった文章」を書いてみたい気もちになった。書いて、削って、また自分の気持ちにちゃんと沿うような言葉に練り直す、っていう作業をしたくなったのだった。

 

モスクワに来てもうすぐ3か月になる。興味の赴くまま、いろんな場所にひょこひょこと歩いていった。偶然出会った私に、親切にしてくれた人がたくさんいた。彼らと行動することで、一人だけでは知ることができなかったであろう、モスクワの顔を見せてもらっている気がする。

 

一方で、ロシア語ができない、聞き取れないっていうことが、ちょっと重くのしかかってくる。なるべく笑顔でいるようにしてるけど、相手とコミュニケーションできないっていうのは、自分が透明人間になっているような心細さがある。せっかくの時間をもらって申し訳ないなと思ってしまう。

それでも不思議と、勉強を投げ出したいとか、日本に帰りたいとかはまったく思わない。今はうまくしゃべれないけど、友達、カフェの店員さん、おばちゃん、誰とでもいい、ちゃんと意思疎通をしたいから、彼らが日々どんなことを考えて生きているのか、そのしっぽに少しでも触れたくて、部屋で教科書をぶつぶつ唱えている。

 

 

どうしてロシアに来たのか、今まで何回も聞かれて、いつもうまく答えることができない。欧米に行ってもなあ・・・という自分のあまのじゃく的思考回路に起因するところが大きいけれど、とにかく、今までとはまったく違う価値観に触れたかった、というのはある。こういうと自分探しの旅みたいだし、事実そうなのかもしれないけど、もうロシアに来てしまった今となってはそんなことはどうでもいい。自分探して何が悪いと言いたい。

 

 

留学することを決める直前、今年の1月から2月ごろ、もう私は本気で、人生に嫌気がさしていた。就活の波には乗れず、将来やりたいこともなく、気力も湧かず、不安しかなかった。ご飯もちっともおいしくなかった。夜中に訳もなく涙があふれてきた。周りには大好きな友人たちがいたけれど、言葉を出そうとするとなんか苦しくて、彼らと自分を比較して、ものすごく惨めだった。

 

でも4月から環境が変わった。興味が持てないのに周囲の勧めで選んでしまった専攻を、もともと自分がやりたかったものに変えた。ゼミが変わって、とる授業が変わって、出会う人たちが変わって、その日考えることが変わった。「勉強の時間」と「休みの時間」の境が曖昧になって、それくらい授業で学んだことをいろんな人に聞いてほしくてしょうがなかった。呼吸できるようになった。水を得た気持ちになった。

 

楽しいこと、心が動くものを見つけたら、全力でそっちの方に手を伸ばさなければいけない。伸ばしていいんだということを、私はずっと知らなかった。どんなときだって、いつだって、私は自由だったということを知らなかった。それぐらい、周囲の人の目(それは自分が作り出したものであることが多いけれど)が怖かったし、自信がなかった。

 

 

正直、いま卒論の構想として考えているテーマも、形として結実するのか、今の語学力からしてまったくわからない。でもまずは書き出さなければいけないのだろうし、それを他者に差し出さなければいけない。頭の中だけで一生懸命ひねくり回していても、身体が伴わないのなら、それは考えていることにはならない。

 

自信はないけど、現実がちゃんと鞭打ってくれる。本や文章で触れることができる他者の思考の軌跡の中に、日常で出会う人々の中に、いつだって答えはあるはずだと信じている。小さな根性の私には、彼らと対話することが救いなのだと思う。

 

この一年の間、少しずつ少しずつ、自分にとって必要なパーツを勝ち取ってきた。残りの時間で、拾ってきたものたちを、納得のいく形で結実させたいと思っている。

イ=ランと私、私とことばたち

昨晩はなぜか寝付けず、結局、今朝も空腹に負けて6時ごろ目が覚めてしまった。朝の6時だというのに、外はまだ闇に包まれている。コーンフレークに牛乳をかけて食べる。

 

シャワーを浴びた後、布団の中に入って、soundcloudでイ=ランの曲を流すことにした。飾りのない、遊び心に満ちた彼女の歌い方が好きだ。でもイ=ランの歌はそれだけじゃない。毎日の中で感じる切なさ、でも無かったことにしていつの間にか私たちが忘れてしまっている心の揺れの一つ一つを、歌詞に美しく詰め込んでいる。特に『世界中の人たちが私を憎みはじめた』は、何度聞いても、心の一番奥の方に触れてくる。

 

そんな彼女の曲を聴きながらうとうとしていたら、ある友人のことが頭に浮かんだ。私はその友人のことが大好きだったのだけれど、あることがきっかけで、隔たりができてしまったと感じていた。でも現在、日本から遠く離れた国にいる以上、しばらく会うこともないので、私は友人のことを忘れようとしていた。

でもいきなり、その友人についてもやもやと考えていたことが、しっかりとした言葉になって溢れ出てきた。今まで自分が何を感じていたのか、ちゃんと相手に伝えたいことは何なのかが少し見えたような気がした。

「ふと思いついた言葉は、普段は眠っているものだから、記録しないとまた眠ってしまうものだよ」と、数年前、気功の専門家のある先生に言われたことを思い出した。便箋なんて持っていなかったけれど、もうそのへんにあったメモ帳をつかんで、一気にその人への手紙を書いた。

そのとき湧き出た言葉たちが、本当に私の気持ちを表現できているのか、私にはわからない。でも、私の中にある色んな気持ちは、すべて本当の気持ちで、私の中から出てきた色んな言葉も、きっとぜんぶ本当の言葉なんだと思う。

 

 

お昼過ぎ、домを会場に開催される、一日限りのヴィンテージマーケットに行ってみた。ソ連のものだけではなくて、ヨーロッパ、アメリカ、アジアと、様々な種類の美しいアクセサリーたちが並べられていた。大本命はスペイン産のブレスレットで、フラメンコを踊る男女のかわいすぎる柄に一目ぼれしたのだけれど、値段を見て冷静になった。きれいだなと思った指輪をはめてみても、私が指輪に負けてしまいそうな気がした。結局、財布と気合との相談は、前者に軍配が上がった。

散々迷って、500ルーブル(約800円)で、灯台をモチーフにした金色のピンバッジを購入。サーチライトの部分に、光る石がはめ込まれているのが気に入った。お店の人によれば、80年前のアメリカ産だという。クールだけれど、アンティークへの愛情が伝わってくる女性だった。

 

家に帰って重要な日常会話のとフレーズをとにかく暗記する。一日が新幹線のような速さで過ぎ去っていく。今できることをしなければならないと強く思う。

9時ごろ起きて、10時からお昼時までロシア語の勉強。12時に同居人と食堂へ行くも、レジのところでふたりそろって財布を部屋に忘れたことに気が付き、私が慌てて取りに行く。昨日スーパーへ一緒に買い物に行った時も、ふたりとも財布の中がすっからかんなことを忘れていて、レジのおばさんに待ってもらって慌ててATMへ走ったのだった。とんちんかんなことを続けている。でもレジの人も後続の人たちも特に嫌な顔をしていないので、それに助けられている(おいおい)。

 

授業に出た後、帰宅し、そっからまた辞書引いたり書いたり暗記したり、お勉強をほんとにちまちまとやっていた。

六時すぎ、お茶とお菓子を楽しみながらひたすらロシア語を話すサークルに顔を出す。今日はエクアドルから来た医学生と隣の席になった。とってもロシア語が流ちょうで、眼鏡の奥の瞳がやさしい感じの人。エクアドルは今、暑いでしょうと聞いてみると、地域によってだいぶ気候は違うという。標高の高い地域は確かに夜は寒いだろうなと思う。こっちの寒さもそんなに辛くないみたい。

「今日は手術が3つもあって疲れた」と笑う。御年80歳の、超元気なロシア人医師の先生の助手をしているらしい。異国の地で、専門性のある仕事をしているなんてすごいなあと言うと、「慣れちゃえばそんなことないよ。語学もただ繰り返し覚えればなんてことない。はじめから海外に行くことを考えていた」とさらっと言ってのけていて、またさらにすごいなと思った。

今日はさらに、イタリア人の歌が上手い女の子とおしゃべりして、ウクレレと歌で来週セッションをする約束をした。イタリアの女の子たち、テンションが超高い陽気な感じで話しやすい。モスクワでも日本でも同じことをやっている。また楽しい音楽の仲間に出会えるといいな。

 

寝る前にFBを見ると、先週のдомの公演で出会った舞踏家、ナスチャさんの投稿が目に留まった。先週のフォークオペラの公演後、お客さんとして来ていたナスチャさんが、日本人出演者の方々とジャムセッションをしていた。身体の隅々まで神経が行き届いて、即興でこんなに呼吸が合うのかと私は驚いて、何度もカメラのシャッターを切った。そのとき撮れた写真をナスチャさんに送っていたのだけれど、彼女がそれらを改めてFB上に投稿して、私のクレジットまでつけてくれていたのだった。光の調整が難しく、すごくいい写真が撮れたわけではなかったけれど、自分の写真を使ってもらえるのってうれしいことなんだなと実感する。

日本の友達からメッセージがいくつか届いていることにも嬉しくなった。物理的にも時間的にも、もうなかなか会うことが難しい人たちかもしれないけれど、お互いそれぞれの場所で頑張って、またいつか笑顔で再開出来たら、いまの自分について素直に語りあえたら、それはきっと幸せなことだと思う。

 

 

今朝もどうしようもなく曇っている。昨日も最初の文に「曇っている」と書いた気がする。起きなくていいよ、もう少し布団と戯れていなよと、雲までが私に勧めてきている気がする。お言葉に甘えて30分ほど寝過ごした。

 

外に出て寒さに驚く。約2度。雨と雪の中間みたいなものが降っているじゃん。東京は今日27度らしいよと友人が言っていて、あまりの気温差に噴き出してしまった。そしてモスクワよ、今はまだ10月だよ。これが11月ならわかる。でも11月はまだやってきていない。10月と12月の間に挟まれた11月の存在感の薄さたるや。これ以上寒くなったとして、もういったいどのように冬を乗り切るのか。

 

午前の授業が始まる前にいつもの購買に寄る。ここはお昼時に来ると、どんなに短くても20分は並ばなければいけない。利用する学生はすごく多いのに、レジはたった一個である。なのにサービスが充実していて、その場でカフェオレを淹れたり、ブリヌイ(クレープみたいなやつ)をレンジでチンしてくれる。でもそれ以上にもっと混む理由があって、それは、それは・・・「横入り」である。

列に並んでいる友人を見つけたら、後から来たとか先に並んでいたなんて全くお構いなしに、どんどん横並びに人が増えていく。私はお腹が空いているので、どうしようもなくイライラしてしまう。だから混んでいない朝のうちにお昼ご飯を買っておくしかないのだ。

 

明るくて清潔感のあるサンドイッチやブリヌイ、ケーキが並んだショーケースの向こう側で、今朝もおばちゃんが迎えてくれた。ショートカットヘアが良く似合う、はきはきしたおばちゃんで、この購買のドンである。お昼時は忙しそうなので会話はできないけれど、今日は私の顔を見るや、笑顔で迎えてくれた。

「こんにちはお嬢ちゃん。なんだかあなた、毎日来てるね。私の名前はニーナ・○○(せっかく自己紹介してくれたけど苗字まで聞き取れず。)。まだ朝だから、全部揃ってるよ!ブリヌイ、サンドイッチ・・・どれにする?」

おばちゃんの優しさが嬉しかった。彼女がこの仕事に誇りを持っていることがよくわかる。りんごジュースと、ベーコンとチーズが入ったブリヌイを購入。

 

午前中の授業が終わった後、クラスメイトの中国人留学生、ミラ(ロシア名)とおしゃべりする。毎朝、寮から大学までの30分ほどをランニングで登校し、授業にも活発に参加するミラは、ナイキのパーカーとスニーカーでキメていた。よく笑いしゃべり、愛嬌がある本当にかわいい女の子である。

そんなミラが、彼氏とのSNSのやりとりを見せてくれた。彼氏のアイコンは中国国旗だった。中国の海兵で、今は日本海で勤務にあたっているから、連絡がとれず寂しいとミラがぼやいている。「彼は国を愛している。私ももちろんそう。赤色が一番好きな色なのは、それが中国の国旗の色だから」と彼女はきっぱりと話す。

今までの私だったらきっと、愛国心という言葉を聞いただけで、なんとなく居心地の悪さを感じていた。国みたいな大きなものに、私という人間を絡めとらないでほしいと強く思っていた。その考えは今も変わらない。

 

でもミラを見ていて、国を愛するとか愛さないとかは、個人の自由だなと思ったのだった。彼女はきっと、すごく純粋で、素直で、自分のいる場所に、立ち位置に疑問を持たない。ただそれだけ。母国を愛するからと言って、日本海で働く中国海兵の彼氏がいるからといって、日本人を嫌っているような様子も一切ない。いつも笑顔で、お菓子を分けてくれたり、ファッションを褒めてくれたりする。日本海で起きていることはそんな単純な問題じゃないかもしれないけれど、国を愛していてもいなくても、それが他者を排除することにならなければ、それでいいのではないか。そんなことを考えていた。

 

授業後の帰り道にスーパーに寄り、約5日分の食料を購入、その後17時から大学内でマッサージを受けることに。モスクワ大学の学生が掲示板に貼ったチラシを先月見つけて、ようやく予約したのだった。

私が普段生活しているのと変わらない、まったく同じ寮の部屋に行くと、眼鏡をかけた優しい雰囲気の男性、サーシャさんが待ってくれていた。同い年には全然見えない落ち着きがある(しかももう結婚してるらしい)。

部屋にはマッサージ台があって、上半身の服を脱いでうつぶせになり、オイルを塗ってもらって、肩と首を本格的にマッサージしてもらった。もうごりごりゴリゴリ、笑顔が素敵だったけど容赦がない。これで50分ほどで約1200円くらいだから、お手軽!

マッサージしながらたくさんお話してくれたのだけれど、私はうつぶせになっているので、耳情報のみに頼ってロシア語の会話をすることになり、なんだか体は休まっても頭がパンパンに・・・・。それでも、肩はすこし楽になったし、やっぱりロシア語、全然まだまだだなとやる気が出たので、思い切って予約してみて良かった。

 

もうやるしかない。やるのみである。やりたいときにやりたいことをやりたいだけやる。やりたくないとおもったときはやらない。意外とこの方がうまく回ってるんじゃないかと思っている。坂口恭平さんが言っていた、「永遠に試せ」という言葉を時折思い出して、いつもはっとさせられている。なんて力強い言葉なんだろうと思う。